「逆はだかの王様!?」の巻

新約聖書 コロサイ人への手紙 3:9、10
 

 「はだかの王様」っていう童話がありますよね。本当は何も来ていないのに「いや、わしは立派な服を着ておる!」なんていばって歩く、滑稽な王様の話です。もちろん、着ていないのに着ているって言い張るのは滑稽な事ですが、その反対に、着ているのに、着ていないって言い張るのもまた同じぐらい滑稽な事なんですよ・・・
 聖書の中に「あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。」って書かれている個所があります。ここでは、イエス様を信じて新しいいのちを頂く事を、古い服を脱いで新しい服を着る様にたとえているわけです。なるほど、服を脱いだり着たりする事は、私達が日常している事なので、分かりやすいたとえですよね。そして大事なことは、イエス様を信じたあなたは、これから古い人を脱ぎ、新しい人を着るように努力しましょう、とは言っていない事です。私達はどうも、「イエス様を信じたんだから、これからはそれにふさわしい行いをしよう、それが古い人を脱いで新しい人を着る事なんだ」などと思いがちなんですね。でもそうじゃなくって、実はイエス様を信じた時からすでに、私達は古い人をもう脱いでいるんです。しかも、過去の自分の古い行いも一緒にです。そして同時に新しい人をもう着ているんですよ!もちろんこれは、目で見る事はできません。ただ、霊的な目で見るならば確かにそうされているんです。でももし、その事を信じる事ができずに「いや、私はまだまだ未熟なものだから、まだ古い人を着ている。もうちょっとがんばって、早く新しい人を着なければならない」なんて言っていたとしたらどうですか?それは先ほどの「はだかの王様」の反対の「逆はだかの王様」になってしまいます。なぜなら、もう新しい人を着ているのに、自分では「いやまだ着ていない」って言い張っている事になるんですから。でもこれって、神様の目から見るならば、随分と滑稽な姿であるんですよ。それどころか、イエス様によって新しくされているのに、まだ古いままだ、なんて言っているのは、神様を悲しませる事になると思うんですよ。
 もちろん、私達がイエス様を信じて救われた後、よりよい姿になろうと努力する事は大切です。せっかく救われたのに、今までと何も生活が変わらないとしたら、それはそれで問題ですね。さっきの聖書のつづきには「新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」ってありますから、新しい人を着て、それがゴールじゃないって事です。神様の助けによって、ますます神様に近づいて行く努力だって必要です。でも救われて新しくされているのに、まるでそうじゃないかのように振る舞う事も、大きな問題です。つまり、私達の信仰生活には、2つの面があるって事です。ひとつは、すでに神様が私にしてくださった事を、そのまま信じて受け入れる事です。そしてもうひとつは、そこからさらに上を目指していく事です。これから私達がして行くのは、今もう自分が新しくされている事を感謝して受け取る事、そしてこれからますます変えられ続けるような生き方をするって事です。私達はもう、新しくされている事を信じましょう。そしてこれからもますます新しくされてゆくって事も信じて行きましょう!

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