「前例主義!?」の巻

新約聖書 ルカの福音書 1:57〜64
 

 「前例主義」ってありますよね。前の人がああしてたから、今度もそれにならおう、ってやつです。もちろんそれは何も悪い事ではないんですが、時にはその前例主義よりも大事な事もあるんです。聖書の中にも、そんな話が出て来るんですよ・・・
 イエス様が誕生される少し前、バプテスマのヨハネっていう人が誕生するんです。彼は将来、イエス様のために道を整えるっていう、大切な役割があったんです。ところでそのバプテスマのヨハネが誕生する時、ちょっとした事件があったんですよ。彼の父親はザカリヤという人で、当時神殿に仕える祭司だったんですが、ある時、神殿の中で御使いが現れ、彼に子どもが与えられるって告げたんです。でもこの時、妻のエリサベツは赤ちゃんができない体質で、しかも夫婦ともに、もう年をとっていたんです。でも御使いは、生まれて来る子どもをヨハネと名付けなさい、と言われたんです。やがてその後、本当にエリサベツに赤ちゃんが産まれたんです。そこで近所の人々や親せきの人達が集まって来て、名前をつけようって時、人々はその子を「そうだ、ザカリヤという名にしよう」と言ったんです。でもこれって何かおかしいと思いませんか?そうです、ザカリヤっていうのは父親の名前そのままじゃないですか。父親の名前をそのまま子どもにつけたりしたら、もうややこしくって仕方がないですね。でもとにかく、人々はザカリヤと名付けようとしたんですが、実はその赤ちゃんにはもうすでに名前が決まっていましたよね。そうです、御使いが、その子の名はヨハネにしなさい、って告げていたんです。その事を知っていた母親のエリサベツが、「その子の名はヨハネにしなければならない」と言ったんですが、人々はこんな理由で反対したんです。「あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいません」過去に前例のない名前など付ける訳にはいかないという考え、これを「前例主義」っていうんじゃないでしょうか。しかし御使いはその子の名前をヨハネとつけなさい、と言われました。つまりこれは「前例主義」対「神の導き」という戦いでもあるんです。
 確かに前例主義も大事です。でもそれに頼りすぎると、今度は新しい事をしなくなってしまうんです。そして時にはそれが神様のみこころを妨げる事だってあるんです。エリサベツやザカリヤは、簡単にヨハネという名前をつけたのではなく、そこにはあくまで妥協せず、神様に従おうとする強い意志があったと思うんです。実はザカリヤは、神殿の中で、御使いの言う事が信じられなかったばかりに、口がきけなくなっていたんです。ところが彼らが「その名はヨハネ」と決めたとたん、たちどころにものが言えるようになって神をほめたたえたんです。神様の導きに従った時、神様の祝福を受ける事ができるんですね。
 私達の中には、前例だけに従う方法と、神様の導きに従って新しい事を行なう方法の2つがあると思うんです。その時、どちらを取るかが問題です。もちろん、導きの方を取れる方がよいに決まっているんですが、そのためには、普段から神様の導きを知る訓練をしていなければいけないですよね。そして前例という枠の中にとどまっているだけじゃなく、それを打ち破ってゆく事も大事なんです。その時、神様は大きな祝福を与えて下さるはずですよ!

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