「もふもふ!」の巻

旧約聖書 創世記 25:21〜26
 

 動物なんかで、やわらかい毛にくるまれてふわふわしている様子を「もふもふ」なんて言葉で表わす事がありますよね。でもこれが動物だからかわいいんであって、もし人間の赤ちゃんだったらどうしますか?え、人間の赤ちゃんだったら、髪の毛以外はつるつるで、そんなもふもふな赤ちゃんなんているはずないだろうって?ところが聖書の中に、そんなもふもふの赤ちゃんが出て来るんですよ・・・
 旧約聖書にアブラハムっていう人が出て来るんですが、神様はこのアブラハムに「あなたの子孫を星の数ほど増やして祝福しよう」っていう約束をされるんです。ですからこのアブラハムの家系っていうのはとても大切なんですね。なぜって、途中で家系が途絶えたりすると神様の約束が成就されなくなるじゃありませんか。ところでアブラハムの息子がイサクっていう人で、そのイサクにも息子が生まれます。ところが、イサクに生まれたのがふたごだった事から、ちょっと話はややこしくなります。なぜって、ここで後継者問題が出て来るからです。それはともかく、生まれて来たふたごは、見かけも全く違っていたんです。最初に出て来た赤ちゃんは「赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。」とあります。「エサウ」と言うのは「赤い」と「毛深い」を結び付けたことばだと言われます。それにしたって「全身毛衣のよう」なんて、赤ちゃんにしてはいくらなんでも毛深すぎません!?これを見た両親は果たして「もふもふでかわいい〜」なんて言ったんでしょうか?ところで、すぐ後に生まれたもうひとりの赤ちゃんは、このエサウのかかとをつかんだまま出て来た、って言うんですから、この後の後継者争いを暗示させるような感じですね。そしてこの子はヤコブって名づけられるんですが、それは「かかとをつかむ」って意味があるそうです。さて、このふたりは外見もそうなんですが、性格も正反対でした。やがて2人は成長して行くんですが、弟ヤコブは実は密かに、長男の権利を狙っていたんです。そしてついに、そのチャンスがやって来ました。お父さんのイサクが年をとって、目も見えなくなったある日、彼は息子のエサウを祝福しようと、自分の所に呼び寄せるんです。この時、父親から祝福を受けるって事は、実質的に後継者となるようなもんですから、大きな意味があったんです。しかしヤコブは、お父さんが目の見えないのをいいことに、エサウになりすましてこの祝福を横取りしようとしたんです。そこで母親の入れ知恵もあってヤコブは、自分の手と首とに、子やぎの毛皮を巻いて行ったんです。なんとヤコブはここで、エサウの「もふもふ」を利用したんです!父イサクに、手と首の毛皮を触らせる事によって、自分をエサウだと思わせる事に成功したヤコブは、まんまと兄の祝福を横取りしたんですが、もちろんそのままではすみませんでした。ヤコブはやがて怒る兄から身を守るため家を出て、2人が和解するまでには長い年月が必要となったんです。もしエサウがこんなにもふもふでなかったら、ヤコブもこんな事思いつかなかったかも知れませんね。でももちろん、本当の原因は「もふもふ」にあるんじゃなくって、人の心の中の「罪」にあるんですね。私達は、外見はいろいろですが、心の中だけはみんな、きちんとイエス様にきよめて頂かないといけませんね!

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