「なるはやで!」の巻

新約聖書 テモテへの手紙第二 4章9節
 

 まあ、ちょっと古い言い方かも知れないんですが、「なるべく早く」の事を略して「なるはや」なんていいますね。仕事でも急いでいる時は「なるはや」でやってほしいし、誰かに会いたい時にも「なるはや」で来てほしいですよね。ところで聖書の中にも、ある人に対して「なるはや」で来てほしいって頼んでる個所があるんですよ。
 パウロっていう名前の、初期のキリスト教界では「大伝道者」と言われた人がいるんですが、彼は当時の地中海世界を巡る、命がけの伝道旅行を何度もした人なんです。でも最後には、キリスト教を迫害するローマ帝国に捕らえられて、殉教してしまう人なんです。そのパウロが、生涯最後に書いた、と言われるのが、この「Uテモテ」って言われる手紙なんです。しかもパウロはこれを、捕らえられた牢屋の中で書いたって言われてるんです。この手紙は、パウロの若い弟子、テモテっている人に宛てて書かれているんですけど、その中にこんな文章があります。「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」
 これって、完全に死を覚悟した手紙じゃないですか。そうなんです、パウロは間もなく処刑されようとしていたんですけど、その事を知ってもう覚悟を決めているんですね。そこで弟子であるテモテに最後の手紙を送ったんですがその後、こんな事も書いています。「あなたは、何とかして、早く私のところに来てください。」
 さすがのパウロも、死を目前にして、ひと目、愛弟子に会いたかったんでしょうね。「何とかして、早く」だから、もはや「なるはや」どころじゃなく、「なんはや」じゃないかと思いますが、それだけパウロの切実さが伝わって来るようです。そしてこの手紙の終わりの方には再度、こんな事を書いています。「何とかして、冬になる前に来てください。」って。今度は期限指定付きです。やっぱり冬になると牢屋は寒いし気も滅入って来るし、せめてその前に会いたい・・・って、ちょっと待って下さいよ!?パウロはすでに死ぬ覚悟はできているっていうのに、やっぱり寒いといやだ、とか言ってるわけですか?(その前には上着も持って来てくれ、なんて書いてます)そう思うと、なんか不思議な感じもするんですが、よく考えて見たら、そこがパウロの人間らしい所じゃないでしょうか。どんなに命がけで伝道したって言っても、パウロだってやっぱり人間なんですよ。孤独や寒さも感じる、弱さを抱えた、ひとりの人間なんです。でもすばらしい事は、そんな弱いひとりの人間を、神様が用いて下さって、こんなに大きな働きをさせて下さったって事じゃないでしょうか。
 私達だって同じなんですよ。いくら神様のために働きたいって言っても、やっぱり弱さや欠点をいっぱい持っているんですね。でも神様は初めからそんな事承知の上で、それでも私達を使おうって言って下さっているんですよ。そして弱いからこそ、神様に頼るわけであり、弱いからこそ、そこに神様が働いて下さるんですよ。
 私達もパウロのように、腹をくくっていながらも、やっぱり慰めも必要な、そんな人間らしい方法で神様に仕えて行こうじゃないですか!

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