「神様の忖度!?」の巻

旧約聖書 詩篇 139篇4節
 

 「忖度(そんたく)」って言葉がにわかに脚光を浴びましたよね。それまではあんまり聞いた事のない言葉だったんですが、一気に流行語にまでなって、世間に知れ渡る事になりました。と言っても、あんまりいい意味で知られるようになったわけじゃないんですが、そもそも忖度って、そんなに悪い意味じゃないんですよ。試しに辞書で調べてみると「他人の気持ちをおしはかること、またおしはかって相手に配慮すること」って書いてあります。つまり、相手が何をしてほしいのか、聞かないうちに察してあげて、その望むとおりにしてあげるわけですから、究極の気配りとも言えます。これは本来、繊細と言われる日本人にとっての得意分野ではないでしょうか。と言っても、本当の忖度って、そう簡単にできる事じゃありません。ところが、その忖度の名人がいるんですよ。それは誰かっていうと・・・
 聖書の詩篇139篇4節に、こんなことばが出てきます。「ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」
 こちらがまだ何もしゃべらないうちに、神様はもうそれを知っておられるっていうんです。これはもう、忖度するにはもってこいの性質じゃないでしょうか。私達人間のように、推測で相手の気持ちを察するんじゃなくて、神様はもう、直接聞いたのと同じぐらいにその人の心の中を知っていて下さるんです。もっと言えば、自分自身にさえ気づかない、その人の本心や心の奥底に隠された気持ちまで知っていて下さるんです。だから神様って、実は私以上に私の事をよく知って下さって、私に対して最高の配慮をして下さるお方なんですよ。
 でも神様が忖度名人だって言われるのは、それだけの理由じゃありません。単に相手の気持ちを知るのと、忖度するのとでは、違いがあります。相手の気持ちを知ったうえで、その通りにしてあげるって事が大事なんです。ところで神様は、その点では何をして下さったんでしょうか。イエス様の十字架の事を考えて見ましょう。イエス様は、私達すべての人の罪の身代わりになって、十字架にかかってくださったんです。その事によって、私の罪が赦され、永遠のいのちをいただけるようになったんです。そしてそれは、私達が「私は罪人ですから、どうか罪を赦して下さい」って言う前にです。私がまだ罪人のままであり、自分の罪に気づいていない時からもうすでに、私達の罪が赦されるための準備を全て整えてくださって、十字架にかかって下さったんです。そして後は、私達がただイエス様を信じるだけで救われる様にまでして下さっていたんです。それは私達人間には、罪の赦しが絶対に必要であり、それが無ければ幸せにはなれないって事を知っていて、誰にも頼まれる前から、ご自分のいのちを投げ出して下さったって事です。
 今、私達は、何かきびしい修行や、善行を積むことによって罪赦されて救われるんじゃなくて、ただイエス様を信じるだけで救われるんです。それはなぜかって言うと、そこにイエス様の十字架があったからなんですね。これこそ、人間の思いをはるかに超えた神様の究極の忖度じゃないでしょうか。この神様の忖度が、私を救ってくれたんだって事を覚えておきましょう!

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