「新人諸君!」の巻

新約聖書 コロサイ人への手紙 3章9、10節
 

 春になって新しく会社に入社した人の事なんかを、こんな風に呼びますよね、「新人」って。「新人」って言うのは確かに「新しい人」って意味なんですけど、だからって何かが新しくなって入って来たわけではありません。もちろん、心構えなんかはきっと新しくなっているでしょうけど、基本的には以前の自分の延長である訳です。むしろ「新人」って言葉には「これからの人」「まだ未熟な人」っていうぐらいの意味が含まれているわけですね。ところで聖書の中にも「新人」が出て来るんです。そしてこちらの方は正真正銘、新しくなった人なんですよ・・・
 聖書には「あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。」って書いてあります。ここでは新しい人と、その反対の古い人が出てくるわけですが、まるで服を着替えるような感じで書かれていますね。そして、今までの古い人の上に新しい人を着るんじゃなくて、古い人をいったん脱いで新しい人を着る訳ですから、もう、全く入れ代わってるわけですよ。つまりイエス・キリストを信じると全部が入れ代わるぐらいに新しくなるわけです。考えて見たら、自分が全く新しくなる経験(聖書ではこれを新しく生まれる、とも書いていますが)なんて、そうそうあるもんじゃないですよ。イエス様を信じた人はそんな大きな経験をするわけです。ところが、これほど大きな事なのに、案外実感がなかったりするんです。なぜかって言うと、この新しくされるのは内面、霊の部分であって、体は以前のままに見えるからです。だから新しくされているのに、まるで古いままでいるかのように思ったり、振る舞ったりする事があるんですね。でもこれって、本当は正しくないんですよね。では新しくなったって一体どんな事なんでしょう。それは以前の古い自分と比べて見たら、よく分かると思います。新しい自分には、以前の古い自分には無かったものがあるんですね。それは何かって言うと、どんな時でもイエス様と一緒に生きて行けるって事です。聖書のガラテヤ2:20には「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」って書いてありますけど、もはやイエス様が生きて下さっている、というのは、以前の自分には絶対になかった事です。また、新しくされた自分は、神様にお祈りする事ができるって事と、聖書の約束を信じるって事もできますよね。これだって以前の自分にはなかった事です。このように、イエス様を信じて新しくされているって事をよく確かめて見ましょう。この新しい自分がどんなものかを知れば、もう古い人に戻りたいなんて思わないはずですね。
 世の中では最初、「新人」と呼ばれて、やがて年数がたつとそう呼ばれなくなります。それはいつの間にか新しくなくなっているからです。でも私達イエス様を信じた人は、本当の意味で「新人」なんです。そして、時間がたつと古くなっていくんじゃなくて、逆にこう書いてあります。「新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」というわけで、イエス様を信じる人は、何歳になっても「新人」なんです。そしてこの新人は、これからもますます新しくされて行くんですよ!

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