[絶対王者!」の巻

新約聖書 ヨハネの黙示録 19章14〜16節
 

 「絶対王者」なんて言葉を最近、よく聞きますね。スポーツや勝負事の世界で、タイトルを持っていたりチャンピオンだったりする者の中でも、特に抜きんでた成績や実力を持つ場合に使われたりするわけです。つまりこの人の王座はもう不動のものだろう、誰も勝てないだろう、的な感じですね。でも本当言えば、その実力を保持し続けたり、王者であり続けたりする事はむずかしいわけです。確かにある一時期は「絶対王者」であったとしても、やがて年齢と共に力も衰え、もっとすごい若手が台頭して来る事も、また世の常じゃないですか。そういう意味では、真の絶対王者なんてものは本当は存在しないのかも知れませんね。でもただひとり、「絶対王者」と呼べる方がおられるんですよ・・・
 イエス様は人間としてこの地上にやって来られ、やがて十字架につけられ亡くなられるんですが、3日目によみがえり天に帰って行かれます。しかし聖書の一番最後の黙示録の中に、この世界の終りの時、イエス様が再び地上にやって来られる事が書いてあるんです。これを「再臨」って呼んだりするんですが、その場面がこんな風に書いてあるんですよ。
 「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。」ってなんか、すごい状況じゃないですか。「最後の審判」っていう有名な絵がありますが、イエス様はこの終わりの時、世界をさばく権限を持ってやって来られるんです。そして次にはこのようにも書かれています。「その着物にも、ももにも、『王の王、主の主』という名が書かれていた。」なんと言っても「王の王、主の主」っていうぐらいですから、もうこれ以上の王者はないわけです。しかもイエス様はマタイの福音書28章18節では「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」って言われているんですから、天国でも地上でもいっさいの権威を持っておられるって事です。つまりこの世に、イエス様以上の王はいないわけですね。これはまさに「絶対王者」じゃないですか。しかもイエス様のその権威っていうのは、時期がくればまた他の人に譲ってゆくとか、誰かに奪われるかも知れない、なんてもんじゃありません。もうずっと、永遠に王なわけです。これでイエス様が世界でただひとりの「絶対王者」だって意味が分かってもらえたでしょうか?
 でもだからと言って、何も恐れる事はないんですよ。イエス様は王でありながらも、私達に仕えるものとなって地上に来て下さいましたよね。そして私達の罪の身代わりになるために十字架にまでかかって下さったんです。この「絶対王者」は「絶対愛」のお方でもあるんです。だから私達に必要な事は、この方を絶対王者として認め、この方を信頼してついて行くって事です。そうすれば「最後の審判」も恐れる必要はありません。イエス様は必ず、私達を天国へ入れてくれます。
 スポーツや勝負事など、いろんな世界でいろんな絶対王者がいるかも知れません。でも私達を愛し、私達を確実に天国に入れてくれる方こそ、私達にとっての本当の「絶対王者」じゃないでしょうか!

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